三浦半島七福神巡りとは?1月1日~1月15日の間で参拝しにいこう!

三浦七福神巡り

三浦半島七福神巡りとは?

出典:三浦半島七福神巡り公式パンフレット

三浦半島七福神巡り

三浦七福神巡り公式


毎年元旦から1月15日まで、お参りされた証として色紙や納経帖へ御朱印をお授けして頂けます。
【最寄り駅】京急線:三崎口駅 又は 三浦海岸駅
【色紙】元旦から1月15日(有料)
【参拝時間】09:00~17:00
【移動時間】徒歩で約7時間(約23.7km)

色紙の金額は?

三浦七福神巡り
・開運色紙(無地) 900円
・開運色紙(完成) 3000円
・色紙への朱印 300円 × 7
※開運色紙(無地)は圓福寺、妙音寺、延壽寺のみ授与
※開運色紙(完成)は圓福寺、海南神社、妙音寺、延壽寺のみ授与(団体は延壽寺のみ)
色紙が販売されていないお寺と神社があるから気を付けてね。

観光目的なら海南神社がおすすめ!

三浦七福神巡りは徒歩で約7時間、自転車でも2時間~3時間程掛かります。

自動車は駐車場も少なく、地元の人たちも利用するため、地方からの自動車での参拝はあまりオススメできません。

開運色紙(完成)は圓福寺、海南神社、妙音寺、延壽寺の4カ所で頂けますので、観光目的も考えている人は完成品を頂くことをオススメします。

特に「みさきまぐろきっぷ」を利用して、観光も楽しみたい人は三崎港のすぐ近くにある「海南神社」の参拝がオススメです。

みうらレンタサイクル利用時の注意!!

みうらレンタサイクルさんでは電動自転車をレンタルできます。

三浦七福神巡りは坂道が多い場所を通るので電動自転車は非常に便利です。

ただし、年末年始は駅前近くのポートは休業しているのでご注意ください。

休業日
・三浦海岸ポート…年末年始(12/29~1/3)
・三崎口ポート…年末年始(12/29~1/3)
・油壷ポート…年中無休
・うらり(三崎港)ポート…年中無休
・城ヶ島ポート(返却のみ)…毎週火曜日(祭日の場合は翌水曜日)、年末年始(4日程度)

三浦七福神巡りのお寺と神社

三浦七福神巡り

三浦七福神巡り対象寺・神社
  1. 圓福寺・金光恵比寿
  2. 慈雲寺・白浜毘沙門天
  3. 海南神社・筌籠弁財天
  4. 見桃寺・桃林布袋尊
  5. 白髭神社・長安寿老人
  6. 妙音寺・鶴園福禄寿
  7. 延寿寺・寿福大黒天

流川 萌愛

無料パンフレットの番号順に三浦海岸駅から参拝するルートをご紹介します。

1.圓福寺・金光恵比寿

圓福寺・金光恵比

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市南下浦町金田 神奈川県三浦市南下浦町金田258

圓福寺について
樹齢500年の大銀杏や槙の老木が茂る境内の石段を上ると、左に平成8年落慶の鐘楼堂、正面に昭和7年再建の銅葺きの大きな本堂が聳える。かつては浄土宗鎌倉光明寺の末で開山は同寺伝設大和尚。天文17(1548)年、海岸にあった地蔵堂を現在の地に移し、金田山圓福寺と称した。堂内には本尊の「阿弥陀如来」の他に、三浦38地蔵尊霊場の秘仏、「地蔵菩薩(市重文)」が豪華な宮殿に安置されている。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
或る夜、金田湾の海上に異様に光るものを通りがかりの漁夫が発見。彼はこれを大漁の瑞兆と喜び、持ち帰った。やがて旅の僧の諭しにより、草庵を建てそこに祀ったという。これが「金光恵比須尊」である。漁村から始まった恵比須信仰は日本神話の事代主命と結びつき「大漁の神」、農村では「豊作の神」として祀られ、やがては「商売繁盛」の神として信仰されるようになった。
引用元:三浦七福神巡り

グーグルマップのルートは途中で山沿いに入りますが、沖ノ島の海沿いを進んで行く方がわかりやすいです。

三浦海岸駅からずっと海沿いを進んで行くと、目印のお地蔵様と三浦七福神巡りののぼり旗が見えます。

【目印】
圓福寺・金光恵比

恵比寿

三浦海岸駅方面から来たらお地蔵様と七福神の旗が目印ですぞ。
写真の右側へ曲がり、右へ周っていくように進むと圓福寺がありますぞ。

2.慈雲寺・白浜毘沙門天

慈雲寺・白浜毘沙門天

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市南下浦町毘沙門667

慈雲寺について
慈雲寺は妙謙大和尚により応安元(1368)年開山された。本尊は「薬師如来」。この慈雲寺から1㎞ほど離れた、海に臨んだ中腹の森に「毘沙門堂」がある。「毘沙門天」は奈良時代「行基菩薩」の作と伝えられているが、現在のものは江戸時代の作で、高さ1.1m、一木造りの立像である。中国風の甲冑をつけ、左手には宝塔、右手に宝棒を持っている。静寂な境内には、石燈篭や大願成就の碑が建立されている。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
古来の尊像は近隣の白浜海岸の海中より出現したという。かつて、正月三日の酉の刻(18時)には、有り難い神示があると伝えられ、近郷近在から多数の善男善女が参詣・参籠につめかけていた。「毘沙門天」は仏法の守護神として「智慧」と「武勇」をそなえ、「厄除け」の神とされる。また、干支に基づいて良いとされる吉祥の方向
─恵方─の神とされている。上杉謙信の軍旗「毘」の文字もこれに由来する。
引用元:三浦七福神巡り

グーグルマップに従って、山沿いを進んで行くのが一番早いです。

下記の目印は海沿いを道なりに進んできた場合になります。

サイクリングで行く場合は、少々遠回りになりますが、海沿いを道なりに進むと景色も楽しみながら行けます。

【目印①】三浦海岸方面側から

毘沙門天

三浦海岸から来たら写真の上の道を登っていくぞ。そのまま平坦な道を進むと通り過ぎてしまうからな。

【行き過ぎポイント】
慈雲寺・白浜毘沙門天

毘沙門天

毘沙門トンネルまで来てしまったら行き過ぎだ!ただし、トンネルの前後が目印①と目印②だから、慌てずにどちらかの道を通ってくれ。

【目印②】三崎港側から
慈雲寺・白浜毘沙門天

毘沙門天

三崎港から来たら、浜福丸の矢印がある道を進んでいくぞ。写真は三浦海岸側から撮っているから気を付けてくれ。

3.海南神社・筌籠弁財天

神奈川県三浦市 海南神社

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市三崎4丁目12−11

海南神社について
祭神は、三浦開拓の祖「藤原資盈」で、天元5(982)年に社殿を造営し、その後、江戸時代に「三浦総鎮守」となった。境内には源頼朝、手植えの大銀杏(樹齢800年)があり、また、三浦大介義明が源平合戦に臨み、神意により頼朝に味方したと伝わる。年間の神事としては、正月15日の「チャッキラコ(平成21年9月、ユネスコ無形文化遺産に登録)」、4月下旬の「食の神祭典」、6月の「八雲祭」、7月の「夏の例大祭」の「お練り獅子(市文化財)」、11月には「面神楽(市文化財)」がおこなわれる。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
治承4(1180)年、源頼朝の挙兵に呼応した和田義盛は衣笠城で畠山・江戸の諸軍と戦ったものの落城、海路房州に逃れた。折悪しく大暴風雨に遭遇し、流されて兵糧が尽きたとき、龍神に加護を祈ったところ「筌」という竹製の漁具が流されてきた。辛うじてこれを用いて魚をとり、主従飢えをしのぐことができた。この地に「筌」を祀り、弁財天堂を建立したのが始まりである。
引用元:三浦七福神巡り

グーグルマップのルートは海南神社の裏から入ることになります。

くろば亭さんがある通りを真っすぐ進み、Misaki.Factoryさんのところで右へ曲がって進み、喫茶トエムさんを右に曲がって行けば正面から入れます。
※海南神社は三崎港バス停付近にあります。

【目印】
海南神社・筌籠弁財天

弁財天

慈雲寺(白浜毘沙門天)から来られましたら、徒歩と自転車の方はくろば亭本店様、紀の代様、三富染物店様がある通りを進んで行くと平坦な道で楽ですよ。

4.見桃寺・桃林布袋尊

見桃寺・桃林布袋尊

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市白石町19−2

見桃寺について
花の三御所といわれた源頼朝の別邸の一つだった「桃の御所」の跡地に、寛永5(1628)年、江戸幕府、三崎船手奉行の向井兵庫頭政綱が静岡県清見寺の白室玄虎大和尚を招き開山した。本尊は「釈迦如来」。本堂には平安時代の秘仏「薬師如来(市重文)」や日光・月光両菩薩、十二神将などが祀られている。北原白秋が大正初期に当寺に逗留し、ここで一世を風靡した「城ヶ島の雨」を作詞した。境内には白秋自筆の歌碑がある。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
布袋尊とは10世紀中国の後梁の頃に実在した禅宗の僧侶、「布袋和尚」のことである。太鼓腹でおどけた格好はものごとにこだわらない、おおらかな姿を表現している。いつも日用品を入れた袋を担いで庶民とともに生きたとされている。当山の「布袋尊」は第3世住職、桃林宗屋禅師の帰依仏であったといわれ、「不老長寿」「無病息災」の守護神として古くから尊信されてきた。
引用元:三浦七福神巡り

最短ルートで行く場合は、海南神社の裏からグーグルマップに従って進みましょう。

自転車の場合は、三崎港の海沿いから周ると景色も楽しめます。

海沿いから行った場合は、下記目印をご参考ください。

【目印】
見桃寺・桃林布袋尊

布袋

もの凄く分かりづらいが、正面の民家の手前を右に曲がるぞ
一応、白い看板に「見桃寺」と書かれているぞ。。

5.白髭神社・長安寿老人

神奈川県三浦市 白髭神社

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市三崎町小網代1793

白髭神社について
祭神は白髭明神(中筒男命=南極星の化身)。この社は小網代湾が昔から廻船寄港地、また三崎の避難港として全国的に知られていた関係上、「航海安全」「大漁満足」の神として古から崇拝されていた。天文年間(1532~55)、当村の漁夫の夜網にかかった霊光、こうこうたる束帯姿のご神体を御祀りしたと伝えられ、現在の社殿は三浦道寸義同が改修したと伝えられている。社殿の左手にある石は鳴石、別名「カンカン石」と呼ばれ、打てば「カンカン」と金属製の音がする。これは「きこいかり」という錨のおもりで、海上安全のために昔攝津の船頭が明神様がその石が欲しいと言うので社に奉納したものと伝えられている。さらに年3回(4月、7月、10月)古式豊かに「面神楽」「湯立て」等、海上安全、大漁満足、家内安全、商売繁盛など神に感謝を捧げ、ご加護を願う儀式が執り行われる。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
中国の民間信仰で南極星の化身、福禄寿とともに南極老人の一人とされ「不老長寿」の徳を有する。仙人風の白い髭をのばし、1500年生きたという玄鹿を従えていることより、「無病・長寿」の神として取り入れられた。冬は海のむこうに富士山が聳え、境内の鬱蒼とした老木とともに参拝者の心を和ませてくれる。近くには、三浦氏滅亡の史跡「新井城」の空掘や京急マリンパーク等がある。
引用元:三浦七福神巡り

「小網代の森」の油壷側出入り口の近くにある神社です。

徒歩の場合は、小網代の森を通って三崎口方面に行くこともできます(自転車の乗り入れは禁止です)。

【目印】
白髭神社・長安寿老人

寿老人

シーボニア(Seabornia)がある道を道なりに進み、小網代の森 油壷側入り口手前に白髭神社があるのじゃ。(写真の左下に白髭神社の看板あるぞい)

6.妙音寺・鶴園福禄寿

妙音寺・鶴園福禄寿

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市初声町下宮田119

妙音寺について
本尊は「不空羂索観音菩薩」。通称、「三浦大師」「花山曼荼羅」と称する。天正年間(1573~92)に中興の祖、賢栄法印によって、古の寺地「妙音寺原」より移築したという記録がある。往時は寺域周辺を走る鎌倉街道沿いに七堂伽藍の形態で存在したといわれている。また、小田原北条氏の庇護を受け、雨乞いの祈願寺として栄えた。三浦道寸義同の鐙一双を寺宝とするも現存はしない。「関東88カ所霊場第58番札所」。「東国花の寺百ヶ寺─山ゆりの寺」。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
福「幸福」・禄「財宝」・寿「長寿」の三徳を有する。この福禄寿は裏山一帯に広がる仏の世界「花山曼荼羅」の一尊として勧請されたもので、山頂の大師堂に祀られている。大師堂の三躯の福禄寿のうち中央の黒い厨子に入った鶴を携えている福禄寿を
「鶴園福禄寿」という。正月のご開帳のころには山内の散策道には水仙や早咲きの梅も咲き始め、参拝者の目を楽しませてくれる。
引用元:三浦七福神巡り

目印らしいものは特にないので、グーグルマップを参考に移動してください。

妙音寺はとても大きなお寺なので、一目でわかります。

福禄寿

三浦海岸駅から帰る場合は、7.延寿寺から先に行くとよいぞい。

7.延寿寺・寿福大黒天

延寿寺・寿福大黒天

三浦七福神巡り MAP

住所:神奈川県三浦市初声町下宮田340

延寿寺について
日蓮宗の高僧日朗上人の弟子である日範上人を開山として、鎌倉時代の弘安7(1284)年に建立された。この日範上人は100歳を越える長寿を全うしたということで、山号を「壽福山」、寺号を「延壽寺」と名付けた。日範上人は当寺で入寂し、本堂前の松の根本に廟所がある。本堂には本尊の「釈迦如来・多宝如来」が安置され、右手には木像の「壽福大黒天」が、左手には「鬼子母神」が、それぞれ厨子の中に祀られている。
引用元:三浦七福神巡り
縁起
江戸時代の文化年間(1804~17)に日龍上人が一刀三礼の儀をもって彫られたもの。俵の上に打出の小槌を持ち、袋を背負った姿でどっしりとして黒光りしている。古代インドでは「戦争・闇黒」の神だったが、仏教に取り入れられてからは「寺院の守護」「生産豊饒」の神に変化した。「富貴」「長寿」特に食生活を約束する神として、日本では恵比須尊と並んでよく信仰されている。
引用元:三浦七福神巡り

三崎街道沿いを進む場合は、カインズホーム手前を左に曲がって道なり進むと、延暦寺の駐車場に着きます。

駐車場まで来たら左の小道を真っすぐ進むと延寿寺があります。

【目印】
延寿寺・寿福大黒天

大黒天

ホームセンターのカインズホームの手前を左に曲がって真っすぐ進むとありますぞい。

七福神巡りのマップはコチラ

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